追悼・中野昭慶

 おはようございます。昭和の日本特撮界を支えた逸材がまたひとり旅立たれました…。中野昭慶監督です。

円谷英二監督らの教えを受けた中野監督は、1969年公開の映画「クレイジーの大爆発」で監督デビュー。1971年には「ゴジラ対ヘドラ」において3代目のゴジラ映画特技監督に就任して本格的に活動を開始。そして、1973年に公開された「日本沈没」での大迫力の災害特撮シーンが話題となり、高い評価を受けました。以降、ジャンルを問わず多くの作品で活躍されました。

中野監督作品の特徴のひとつに、大量の火薬を仕掛けて一気に爆破させる演出が見もので、当時のファンに絶大な人気を博して「爆発の中野」という異名を残したほどです。

1987年公開の映画「竹取物語」を最後に映画界を引退。その後はイベントなどに参加して元気な姿を見せていたそうです。私も、DVDのインタビュー映像などで何度も拝見しています。

樋口真嗣監督などにも影響を与えたとされる中野監督の功績を称えます。

ご冥福をお祈りいたします。